瞑想
「散々クレームをつけてくる方のことを考えると、胸が苦しくなります」
そう言ってイルカは神妙な顔でお茶をすする。
「怒りで第二形態になりそうなのに、別に気にしてませんっていうスタンスは崩さないんですね」
カカシの言葉に、イルカは不思議そうに目を大きくした。
「受付でわけのわからぬ文句をおっしゃってくる方に対しても、俺は怒りを覚えたことはありませんよ?」
「じゃあ、どんなどす黒い感情がわきあがってるんでしょうか」
「そんな負の感情で無駄なエネルギーを使ったりしません。ただストレス溜め込んでんだろうなぁ、と心配はします」
「哀れみは止めてあげて。絶対それ望んでないから」
「じゃあ今度から傍観します」
「火に油を注いでどうする」
「いっそ炎上してしまえば、あとは沈静化するしかないんじゃないかと」
「エネルギーの観点から言えば間違っちゃいないが、『人間社会』というフィールドで考えてみてください」
イルカが眉間にシワを寄せて考え込む。そしてゆっくりと頷いた。
「消火活動をせねばならない方は大変ですね」
「他人に委ねるな」
「人を信頼し、委ねることができぬ人間は苦労しますよ」
「こんな話の流れじゃなければ、いい言葉なんですけどね」
「俺はカカシ先生を信頼してます」
「あんたいったい何やらかしたの!?」
「まだなにも。保険をかけておこうかと思いまして。保険って大切ですから」
「そこだけ切り取ってみると、言っていることは間違ってないのに、いちいち腹が立つのはどうしてでしょう」
「腹が立つというのは、結局一過性の感情というエネルギーでしかありませんので、別にその感情に流されてあげる必要はないかと」
「今日のイルカ先生、まともなことを言いますね。会話の流れはおかしいですけど」
「いつもまるごとおかしいみたいな言い方は、やめていただきたい」
「気付いてないって怖いですね」
「おかしい、おかしくないなんて、所詮思考が勝手に決め付けていることに過ぎないんですから、浮かんでくる思考を無視して瞑想でもしてみませんか?」
姿勢を正し、イルカが目を閉じる。その整った呼吸音を聞きながら、つられてカカシも目を閉じた。
呼吸に集中し、聞こえてくる物音に集中し、やがて思考が停止すると、まるで自分がそこに存在していないかのように感じる。皮膚の感覚すらなく、無の広がりだけがそこに あった。
どれほどそうしていただろう。
カカシはゆっくりと目を開け、手を数度握ることで自分の肉体を感じる。
そして、目の前には横たわって完全に寝ているイルカがいた。
「瞑想どこいった!?」
ビクりと跳ねて目を開けるイルカ。
「涅槃です」
「やかましい!」
「眠たいなら寝てしまえ。神々しい何かが俺にそう囁きかけてくれたので、つい」
「それ、悟りの前に訪れる魔境という名の偽の至高体験ですよ? っつーか、魔境と言うのもおこがましいわ!」
「今日のカカシ先生、テンション高いですね」
カカシが微笑む。目は笑っていない。
「生まれたエネルギーを制御するのではなく、むしろ流れに乗れ。そう告げるどっかの何かの電波を受信しました」
「電波を受信するのは俺の十八番なんで、とらないでください」
「唸れ、俺のこぶし!」
「なんの、涅槃フィールド!」
クッションという名の盾と、こぶしのエネルギーがぶつかり合う。
今ここに、無駄な争いの幕が切って落とされた。
2017.04.18
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