醤油
「醤油切らしたんで、ちょっと買いに行ってきます」 イルカは傘を手に外に出たが、一分で戻ってきた。 「財布でも忘れ……」 カカシは言葉を切り、タオルをそっと差し出す。 「ずぶ濡れの人間が折れた傘を持っていると、こんなにも哀れに見えるなんて知りませんでした」 「折れた傘に偽装した聖剣だったらどうするんですか」 「どうもしねぇよ」 「聖剣を手にした勇者の物語。そう――冒険はまだ始まったばかり」 「始まった瞬間に打ち切られてますが」 「勇者は雨に負けました」 「メンタルの弱い勇者だな、おい」 「すごい雨だったんですよ? 水の入ったバケツを持った敵に襲われたのかと思うほどに!」 「地味な嫌がらせレベルじゃねぇですか。敵に謝れ」 「俺の敵なんてこのレベルで充分です」 「もっと頑張って、木ノ葉の忍!」 「頑張ったけど、このレベルですみません」 「働く気ねぇな、完全に」 「そんなことはありませんよ。きっと窮地になれば、新しい能力とか特技が生えてくるはずなんで」 「どこの主人公設定だよ。っつーか主人公はその辺を努力して勝ち得るんだよ」 イルカは静かに傘を手渡した。 「今度はあなたの番だと思うんです。この聖剣、大切にしてくださいね」 「かつての主人公枠におさまりやがった!」 「醤油がないと伝説の味噌汁が完成しないんですよ」 「この際、隠し味とか必要ないから!」 「あと本日はキムチ雑炊なんで」 「お好みでどうぞレベルの醤油使用率じゃねぇか!」 「でも……カカシ先生には美味しいものを食べて欲しいんです……」 イルカは恥ずかしそうにそう言った。 「じゃあ自分で行け」 「空気読め、上忍」 「っつーかお隣さんに借りればいいんじゃありません?」 「関わりたくないのか、ドア叩いても出てきてくれないんですよ」 「あんただからじゃないですかね……」 カカシはスリッパをはいて外に出ると、お隣さんの部屋の扉を叩いた。気配はする。だが反応はない。 「出てきたら不問にしますよ」 そんなカカシの言葉にも反応がない。 「醤油ごときで、生まれてきたことを後悔したくありませんよね?」 それでも反応がないことを訝しく思ったカカシは、大家同行で鍵を開けてもらった。 家主が風邪で床に倒れていた。 これは、空気を読めなくて助かった隣人のお話。 2011.09.12 |